カメラを担いで初夏の剱岳に登ってきたお話
前回の記事から何か月たってるんでしょうねぇ...
ということでお久しぶりです
今回はスペインの話ではなく7月の末に北アルプスの剱岳と立山に登ってきたお話です(スペインの写真の現像が全く進んでいないのはヒミツ...)
大学の試験が終わったその日に大学からそのまま荷物担いで、特急飛び乗って北アルプスに行ってきました
ちょうどその日は台風が来てて登れるかどうか怪しかったんですがとりあえず富山まで行くかということでその日に富山に行ってみたら、翌日は案の定台風が来てて、もう一泊富山でして、その翌々日から登ってきました
当初の予定では折立から登って、薬師岳・黒部五郎岳と登って、余裕があれば笠ヶ岳登って、新穂高温泉に下りてくるハズだったんですけど、
台風のせいで日程が短くなったんで、室堂までバスで上がって、そこから立山&剱岳に登ってきました(決して前日飲み過ぎて二日酔いだったとか、北アルプスの主稜線まで登るのがめんどくさくなったとかそういう訳ではないです、きっと...)
コースは富山からバスで室堂まで上がって(富山地鉄やカーブルカーを乗り継がなくてもバス一本で室堂まで行けるんですね、初めて知りました)、室堂から立山三山越えて剱沢キャンプ場泊、翌日は朝から剱岳登って、余裕があれば雷鳥沢キャンプ場まで降りてきてテント泊、3日目はそのまま室堂経由で帰ってくるというものでした
....のですけど、室堂に着いた時点で周りは霧の中
何も見えないんですよ...
立山山頂付近も雨が降っているということで、その日も日和って雷鳥沢にテント張って、翌日の天気の回復を待って剱岳登ることにしました
っていう風に予定を変更するとだいたい雷鳥沢に着いたころに天候が回復するんですよね
いや、もう普段の行いどんだけ悪いねんって話で
仕方ないのでキャンプ場の周辺で三脚立てたり、ビール飲んだり、お風呂入りに行ったり
いやぁ、いい天気ですねぇ(白目)
翌日は朝4時ころにキャンプ場発で、稜線上まで急登してそのまま一気に剱御前小屋まで登りました
その途中の稜線上から振り返って奥大日岳と富山湾を眺めたのがトップの写真の一枚です
そのあと一旦剱沢のキャンプ場まで下ってテントを張ってから、いよいよ剱岳にアタックです
この時点で午前8時、完全に出遅れてる感しますね
百名山の中でも難しいってことになってますが、まあ団体客も登って行ってますしたいしたことないやろって思ってたんですけど、全然そんなことないですね
有名な山ってことでとにかく登る人が多い、ついでに登山道は急登&ガレ場続きということで、まあ落石が怖いんですね
自分が落とすのも怖いし、落ちてくるのも怖い
あとから知ったところでは下の小屋でヘルメットの貸し出しとか行ってるみたいですね、剱岳を縦走する方は少ないと思いますし借りていった方が無難そうです
一服剱から先ははガレ場かクサリ場しかなくて山頂まで2時間ほど緊張し続けの道が続きます
ザイルやらカラビナをがちゃがちゃさせてる方ばかりで、ほぼ空身の私は浮いてましたね(笑)
ってことでついに山頂
Top of the mountain!!
3000mに1m足りない...惜しいっ
このお堂の上に立ったらたぶんジャスト3000m(しませんけど)
雲の上って気持ちいいですよねぇ
というか雲が下からもくもく上がってくるっていうのは天気が下り坂になりかけてるってことなのでちゃっちゃと下山にかかります
頂上からキャンプ場まで同じ道を落石に気を付けながらまたテクテク2時間かけて降りていきます
そしてっ、なんとこの緊張感ただよう道を降りきった剣山荘でですね、生ビールが飲めちゃうんですよ
缶ビールとかちゃちな奴じゃなくて、生ですよ生
もう飲まないという選択肢はないですよね
いやぁ、うまいっす
ここから剱沢のキャンプ場まで平坦なルートですけど30分はかかるので、よい子の皆さんはマネしないでくださいね
雪渓から滑落しますよ
こーんな雪渓渡らないといけないですからね
写真中央あたりが剣山荘です
ということで無事剱岳に登って、剣山荘でビール飲んで、翌日は立山三山越えて室堂まで帰ってきました(立山の写真撮ってない...)
実はこの記事書いてるのは登ってから3か月後なんですよ...
忙しくて山に登る時間も取れないんで、山に登りたい欲を抑えるために書いてるんですけど、書けば書くほど登りたくなってくる....ぐぬぬ
来月くらいには日帰りか一泊くらいでどこか行って来ます
比良か大峰か大台か...
次の記事はスペインのこと書けるように現像頑張ります
ではではまた
スペイン遊学記3-ジローナ・フィゲレス編-
ジローナ旧市街とダリ劇場美術館訪問
カタルーニャ州には3つの県が属していて、バルセロナ県の北隣フランス国境との間にジローナ県はあります。
県庁はジローナ市で人口は10万人ほどとバルセロナと比べたらとても小さな街ですが、歴史は古くてあのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)のライバル ポンペイウスが建設した街が元になっています。
ここはイベリア半島がイスラーム支配下のときには北のフランク王国とイスラム勢力との、レコンキスタ後はバルセロナのアラゴン連合王国とフランスとの争いの最前線だったため要塞が築かれていて、それに囲まれるように旧市街も良い保存状態で残っています。
ちなみにこの街の正式名称はGirona(ジローナ)でこれはカタルーニャ語なんですけど、カスティーリャ語(いわゆるスペイン語)ではGerona(ヘローナ)と表記されるので地図とかガイドブックなんかによってはこっちの呼び方が使われることも。
スペイン国鉄(Renfe)乗車
バルセロナからジローナまでは高速鉄道AVEと在来線とバスがそれぞれ出ています。
私はAVEに乗ってみたかったのでそちらに乗車しました。
AVEに乗るには荷物検査を受けなければならないので、駅には発車の30分以上前に行くことをおススメします。時間によっては列がズラッと並んでなかなかホームに入れないなんてこともあります。あとAVEではネット予約の場合でもチケットをプリントアウトしていないと改札を通してもらえないこともあるようなので、旅行される方は事前にプリントアウトしていくか駅で直接チケットを買うかした方がよさそうですね。
車両はこんな感じです。
仏リヨン行きということで国際列車ですね。
ということでいざジローナへ
朝早いので観光客も少なくてなかなかいい感じ。
この時間帯は地元の方がメインです。
こちらがジローナ大聖堂。
ここもカテドラルで司教がいます。
聖堂内は撮影禁止でした。
でも撮影してる観光客もちらほら...。
急遽フィゲレスへ
ジローナでカテドラルや旧市街をぐるっと一周してもまだ12時...。
帰りのAVEは夕方5時くらいの予約をしていたので、時間が大幅に余ってしまいました...。
ということで急遽計画を変更してさらに北にあるフィゲレスという街のダリ劇場美術館へGo‼
フィゲレスにもAVEが停まるのでAVEで行ってもよかったのですが、せっかくなので在来線に乗って北を目指します。
さてさて切符を買おうと思って自動券売機にカードを挿入。
ん...エラーが出たぞ...
怖いし、とりあえず購入を中止
...カードが出てこない...(汗)
いや話には聞いてましたがほんとに起こるとは
待合室のベンチに座ってる人からの気の毒そうな視線....
とりえあずこういうのは叩けばなんとかなるっしょ
ということで機械を叩いてみましたが....
気の毒そうな視線が不審者を見る目に...
5分くらい機械と格闘していたら、いい加減にしろよとでもいう感じで画面が販売中止になって、ペッとカードが吐き出されてきました。
いやほんと焦りました。皆さんも海外行くときはカード複数枚持っていきましょうね。
一枚だとこういうときに詰みます。
気を取り直してフィゲレスに向かいます。
フィゲレスは在来線とAVEの駅が違う場所にあって、AVEの駅からだとダリ劇場美術館までけっこうあるのでタクシーかバスを使う必要がありそうですが、在来線の駅からだと充分に歩いて行ける距離です。
こちらがダリ劇場美術館です。
この建物そのものも彼が設計したそう。外見からダリワールド全開ですね。
この美術館は館内撮影OKでしたので何枚か
帰りも在来線でジローナに戻ってきて、少し散策してからAVEでバルセロナまで帰りました。AVEは時間に正確なんですけど、在来線はけっこういい加減で電光掲示板の遅れ表示がどんどん更新されていく...。
ジローナもフィゲレスもバルセロナから近いだけあって観光客はそこそこ多いです。特に午後からはどんどん増えていくので散策等楽しみたい方は朝の列車でバルセロナ出発した方がよさそうです。(スペイン人は朝弱いです...)
ちなみにジローナ大聖堂は朝10時開門ですのでバルセロナ9時ころ発の列車でしたら観光客の少ない時間帯のジローナを楽しめます。
ではではまた
スペインの前の記事はこちら
インプット、微分積分そしてアウトプット
文学研究者で風景写真家の別所隆弘氏が先日noteに下のような記事を書いておられて、そのことについて色々呟こうとしたら、Twitterにのせるにはあまりに長くなり過ぎたのでこちらに書きます。
氏の文章の一つ目はアウトプットがインプットを呼び込むということについて、二つ目ではアウトプットされた「物語」を読み解くためのインプットの集積の大事さについて述べられていますね。
アウトプットがインプットを呼び込むということに関して私は完全に同意します。アウトプットされない知識は、貯めこまれる一方の知識は、整理されずに積み上げられ容易に手を出せなくなってしまうんですね。迂闊に手を出すと崩れてしまいかねない我が家の本の山のように(汗)
そしてそれはインプットまで阻害しかねません。さながら本の購入制限を言い渡された父のように(笑)
貯めこんだ本はキチンと読んで、理解して、自分の中に同化して、適度に処分していかないと次の本は読めませんし買えません。
ただいかに環境が整っていようともアウトプットは簡単ではありません。それはインプットとアウトプットの間にもう一段階必要だからです。
それが表題のように微分積分です。例えが分かりにくくてすみませんが、原理的に言うと微分とは次元をひとつ下げる方向に動かす操作を、積分とは次元をひとつあげる方向に動かす操作のことをさします。二次関数を微分することでその関数の傾きを、ある関数によって表せられる図形を積分すると体積が求められるということからなんとなくイメージしていただけるかと思いますが。
インプットした知をアウトプットするまでには、その知を微分(Differentiate)してセグメントとして、それらのセグメントを消化して、そしてそれらの集積の中でセグメントどうし積分(Integral)してやるという手順が必要で、それらを経て始めて自らの言葉として言語化してアウトプットできるんですね。
その手順を経ないで言葉を発するというのは、自分を蓄音機かテープレコーダーにしてしまうようなことです。自己が介在しているのは...音量調節くらいですかね(笑)
この段階を踏むことで、インプットはアウトプットに繋がり、アウトプットはインプットを呼び込むというように螺旋状に連環していきます。
さてここで氏の二つ目の文章も大事になってくるのです。
さてアウトプットしようにも、これまでインプットしてきた「知」の集積が乏しかったり偏っていたらどんなアウトプットができるでしょうか。
そしてそのようなアウトプットが呼び込むインプットはどうなるでしょうか。
この文章を読んでいるあなたは氏の文章中の二つの「物語」読み解けましたか?
悔しいことに私は氏が示された「知」自体をインプットはしていたのですが、この「物語」を読み解くことはできませんでした。インプットした「知」をDifferentiate(分節化・差異化)して、Integral(統合)することができなかったのですね。
インプットして微分積分してアウトプットする、これら三段階が揃ってはじめて「知」の螺旋階段は登っていけるものです。
私が今学んでいる大学は日本でも有数の秀才が集まるとされている大学ですが、私を含めてこれらの能力がすでに高いというような人はほとんどいません。これからこのような能力は高めていかないとですね。ただそれには専門分野以外でアウトプットするということを意識的にしていかないとと思います。(専門分野については嫌というほどアウトプットしなければならない機会があります)
私は去年スペインのバルセロナにしばらく滞在していたことがあるのですが、向こうでは友人間や教授と話しているときなど大抵の場合「それで君はそのことについてどう考えるんだ?」と常にアウトプットを求められます。
それが普通なんですね。
「そう考えるのはなぜだ」「私はこう考えるが君はそう考えないか」等とTwitterの140字ではとても足りない量の言葉が求められます。
こういう経験をすると上記の三段階を経て自らの中に「知」が集積していくのが可視化されるような気がしてきます。
さらに自らの足りなさなんかもいやが応なく突き付けられます。もっとインプットしなければというエネルギーを与えられるのですね。
さて長々と書いてきましたが、私は基本的に氏の考え方に賛同しています。(一応補足しておきますが氏はインプットの定義を少し広くとっておられて、私が言うところの微分積分なんかも含めてインプットとして語られています。)
これからもこのブログも含めて積極的にアウトプットしていかなければなと。(なので反応ください笑)
あとアウトプットはネット上に限らず友人間や家族間なんかでも積極的にしていきたいですね。そのような話ができる友人を周りに集める努力をしなければ。いやそれよりもいっそそのような習慣が既にある欧米に行くという方が手っ取り早い気も...。
ではではまた
スペイン遊学記2-バルセロナ編1-
バルセロナ大聖堂に行ったお話
スペインという国はカトリックの国なんですが、カトリックという宗教は教会組織が非常に発達していてですね、もはや宗教組織というより官僚組織。
その教会組織のトップが教皇で枢機卿、司教、司祭という順に位階が決まっているのですが、ある教区のトップが司教でその司教がいる教会のことを司教座聖堂(スペイン語名Catedral )といいます。
今回はそのカテドラル・デ・バルセロナに行ったお話。
この教会の正式名称はサンタ・エウラリア教会というんですね
この記事を書いてて初めて知りました(笑)
道聞くときも道標見てもだいたいカテドラルで通じましたし。
聖エウラリアという人に献堂されたということで、なかなか由緒正しい教会のようです。
バルセロナで最も有名な教会といえばサグラダファミリア(聖家族教会)ですけど、あちらは新しいですからね。
歴史でいえばこちらの教会の方がはるかに古いようです。(古さは京都人のアイデンティティー)
この周辺はゴシック街といってバルセロナ観光の中心となっています。
教会の前では大道芸人がパフォーマンスをしていたり、蚤の市が開かれたり、スリが観光客の財布を狙っていたりと、常に賑わっています。
バルセロナ観光については↓のサイトさんが情報が充実しているので詳しく知りたい方はこちらをどうぞ
バルセロナ ウォーカー | バルセロを楽しみ尽くす おすすめ観光情報バルセロナ ウォーカー
ピカソ美術館とかラス・ランブラス通りとかカタルーニャ音楽堂なんかが近いですね
私が顔出していた語学学校なんかも近くにあります。(この話はまたいずれ)
ここからはその周辺の写真を
ではでは今回はこの辺で
最後は夜の大聖堂を
前の記事はこちら
スペイン遊学記1
3ヶ月間のバルセロナ滞在記
2018年の1月から3か月ほど私はスペインのバルセロナに留学していました。その滞在の記録を色々書いていきたいと思います。一応このブログは写真をメインにしたいと思いますので、それらの写真を見ながら、バルセロナをはじめとした私が訪れた色々な街の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
1、バルセロナってどんな街?
皆さん、バルセロナって知っていますか?
スペイン東北部に位置し、人口は160万人。典型的なちちゅうかいs...
という説明はWikipediaを見ていただくとして、
サッカーのバルサとかサグラダ・ファミリアとかピカソミュージアムとかが有名な街ですね。
2、なぜバルセロナに留学したのか?
私は今、大学の理系学部で勉強しているのですが、その専門内容とは一切関係ないです。将来に役立てるつもりで留学を考えている方は英語圏をおすすめします。間違ってもスペインには留学しないように(笑)
ではなぜスペインなのか、ぶっちゃけて言うと、
英語圏の国はどうせ将来好き嫌いに関わらず行かなければならないと思うので、それならそうじゃない国に行ってやれというひねくれた理由です。
あとはガルシア・マルケスとかイサベル・アジェンデといったラテン文学を原文で読みたかったんですね、結局読めるようにはなりませんでしたけど(笑)
3ヵ月ほどバルセロナに滞在してたわけなんですが、平日は語学学校行ったり、美術館行ったりして、週末ごとにバスや飛行機を駆使してあちこち旅もしてました。北はロンドンから東はベネチィア、西はリスボン、南はグラナダまでですね。
そのときのこともこれから追々書いていきたいと思います。
さて写真ブログにすると言いながら、この記事では1枚も写真を貼っていないことに今更ながら気づきました。ということで最後に1枚だけバルセロナで最初に撮った写真をペタリっと。
ではではまた。
ブログ始めました
最近、色々考えていることがあって、それを文章にしてまとめたいかなということで始めまた。
写真や旅を中心にボチボチと書いていきます。
それではよしなに。